Honor the Spirit of Yukoh.


English Original

白石康次郎はバンディグローブの参加資格を得たのち、「スピリット・オブ・ユーコー」を誇りに思いたいと述べました。

 

白石康次郎は、人生そのものといえるレースを完走し、金曜日の深夜、ニューヨークバンディ・レース2016の演壇に立つことで、このレースを第7位で終えました。

 

レースを終えることは、白石康次郎にとって多くの理由から感慨深いことでした。それはそれ自身が偉大な成果であるとともに、バンディグローブへの参加資格を得るためには成し遂げなくてはならないことでした。

 

49歳、東京から南へ40マイルの鎌倉という海に面した小さな町から来た白石康次郎はバンディグローブで戦う最初の日本人セーラーになるでしょう。

 

しかし、フィニッシュしたことはまた彼の師である多田雄幸氏の残した意思を継ぐことの始まりでもあります。多田氏が61歳の時、喜望峰からシドニィへの50日間の、へとへとに疲れたBOC世界一周レースの後で、シドニィで自殺した時、白石康次郎は彼の弟子でした。バンディグローブが創設された1989年以来、そこで戦うことは多田氏の夢でした。白石康次郎は全ての艇の名前を彼に敬意を表してつけています。今回のは「スピリット・オブ・ユーコーⅣ世」です。(多田雄幸氏のユウコウから取っています)

 

「私は、今夜、多田さんが見守ってくれている、そして本当に祝福してくれている、と思っています。」白石康次郎は言いました。「多田さんは良く知り、そしてレ・サブレス・デ・オロネが好きでした。なので、このレースのフィニッシュとバンディグローブの始まりは、私に取って本当になにか特別のことなのです。」

「私はこの大西洋横断で船を何一つ壊さないように努めました。それは私の優先事項でした。私はとても幸せです、そして誇りに思っています。バンディグローブですべての挑戦者たちと一緒にレースを行うことは私の喜びでもあります。もし、私がバンディグローブのスタート台に立てれば、私は最初の日本人セーラーになります。そして、私は自信があります。バンディグローブへの準備はできています。私のプロジェクトは未だに財政的に100%ではありません。必要な資金手当てをするために日本に戻ります。そして、すべてはここでバンディグローブの準備をしてくれる方々にかかっています。」

 

白石康次郎は金曜日、6月10日、23時1分40秒(フランス時間)にレ・サブレス・デ・オロネのフィニッシュラインを切りました。白石康次郎はコースを12日間と1時間21分40秒で走りました。彼は優勝者 Jeremie Beyou (Maitre CoQ) に遅れること2日と8時間23分48秒で、3500マイルを帆走し平均速度12.10ノットでした。

 

すごい奴だ(タフ)、白石康次郎がフィニッシュしたことについてすべてを言い表す言葉です。彼は特筆されるレースを制覇しました、そして、今もってレースの勘を失っていません。彼にとって、2006年に The Velux 5 Oceans を2位で終えて以来10年ぶりの初めてのメジャーな単独IMOCA60艇レースだということを考えなければいけません。

 

スピリット・オブ・ユーコーは2008~09年バンディグローブでの Seb Josse の BT として、2007年に進水した由緒あるボートです。2010年の Route du Rhum では Roland Jourdain がこの船で優勝し、2012~13年のバンディグローブでは Alex Thomson の Hugo Boss として3位に入っています。

 

「これは私に取って、レースのために準備をする時間、という意味で大変なレースでした、」と彼は言いました。「私がボートを手に入れてからわずか2か月にしかなりません。よって、このレースをフィニッシュできたのはほとんど奇跡としか言えません。私はこのボートの計測を受けなければなりません。その調整中です。これは大変に早いボートです。そしてもっと手を入れて練習をすればもっと早くできます。

目的は船を壊すことではありませんでした。そのために私はここで船のテストをして、試して、勝とうとする皆さんと同じルートを取ることができませんでした。私は最も安全なルートを取りました。」

 

そして、白石康次郎が深夜に the Port Olona Channel を通過しようとした時、彼は伝統的な帰港歓迎を初めて味わいました。

「私はこんなにも多くの人々が私を出迎えてくれているとは思いもしませんでした。なぜなら私はわずか7位だったからです、」と彼は言いました。「フランスの方々は私を暖かく迎えてくれました。私は彼らすべての人々に感謝しています。今夜、The Euros (サッカー)の初めての試合がありました。フランスが勝ちました。そして私は幸運でした、なぜなら、もしフランスが破れていたら、おそらく誰も私を見になど現れなかったでしょう。」

 

白石康次郎はフランス人、Fabrice Amedeo (Newest-Matmut)を寄せ付けませんでした。彼はおよそ5時間遅れてレ・サブレス・デ・オロネのフィニッシュラインを切りました。土曜日、6月11日午前4時0分15秒でした。彼はコースを12日間と6時間20分15秒で航海しました。優勝者 Jeremie Beyou (Maitre CoQ) に遅れること2日と13時間22分23秒でした。彼は3525マイルを平均速度11.98ノットで航海しました。

 

そして5艇いましたが、ただビスケー湾がフィニッシュすることの明暗を分けました。そしてこれらの先に行ったものに吹いたよりもよりやりやすく、より早いように見えます。

 

ダメージを受けたボートの戦いでは、Morgan Lagraviere (Safran)  がいまもって Yann Elies (Queguner- Leucemie Espoir)と Jean-Pierre Dick (StMichel-Virbac)をリードしています。しかし、差はこの24時間で劇的に縮まっています。そして、南西から固定して吹いている風の中で、別々の魅力的な3つの航路でフィニッシュすると予想されています。彼らは日曜日のフランス時間5時から8時の間に戻って来ると予想されます。

 

金曜日の朝では Lagrviere Led Elies は70マイル、そして Dickには130マイルが残っていました。しかし、この差は土曜日の午後には20マイルにまで縮まっています。そして Dick がほとんど Elies を捕まえていました。

 

200マイル後ろのスペインの北岸に位置する、南沖合には、ドイツ人スキッパー Pieter Heerema(No Way Back) と アメリカ人とニュージーランド人の混血である Conrad Colman (100% Natural Energy)がつかず離れずいます。Heerema は彼の3時間のペナルティを実行するために選んだ最後の場所に移りました。(事故でニューポートヘ戻る時にTSS,航路分離帯を横切ったためのペナルティ)西南西の風、それは明日には1日を通して西北西に代わるであろう風の中で何回かの回頭をします。彼らは日曜日遅くに到着すると予想されています。

 

2016年6月10日

 

著作権:原文に記載の通り。翻訳:Watson Courtier on July 15.2016