Romain Attanasio 15位

Romain Attanasio takes 15th place.



English Original

Romain Attanasio 15位

2月24日金曜日 2017年

 

フランス人スキッパーRomain AttanasioはFamille Mary-Etamine du Lys号で帆走し、単独世界一周レース、バンディグローブで15位になりました。彼は今朝、2月24日金曜日、1006UTCフィニッシュラインを越えました。もともとCatherine ChabaudのWhirlpool号として1998年に進水したIMOCA艇でレースをしたフランス人スキッパーの実際の時間は109日と22時間4分でした。彼は28,569マイルを平均速度10.83ノットで帆走しました。

 

ミニ6.50とソロ単独デザインのフィガロクラスのシングルハンドレースから最高峰の単独世界一周レースまで段階を踏んで上がってきた、 沿海と外洋レースでの種々異なった背景を持つ39歳の単独レーサーにとって、バンディグローブは個人的な目標の最高峰です。Attanasioは、バンディグローブの最後の715マイルを応急艤装でレースをしたConrad Colmanを抜いて、最終日の朝早く15位を確定しました。南アフリカで彼の舵を修理して以来、Attanasioは、スペイン人スキッパーDidac Costaと、ともに語り継がれる歴史を持つ古いレース艇のペアー2艇で、きつく激しい決闘をしながらレースをしてきました。最終的にCosta が、前身がEllen MacArthurのKingfisher号に乗って、北東からの貿易風からの移動中に、よりいい風の中へうまく逃れて、ちょうど24時間 Attanasio に先行し14位を取りました。

 

自分自身が能力のあるナビゲーターであり、 ワールドチャンピオンシップで優勝したクルー、Franck Cammasと一緒に巡行したORMA3胴艇に乗り、そして、Maxiカタマラン Gitana Ⅵに乗って航海した、Attanasioはフィガロクラスのセーラーのリーダーとして最もよく知られています。彼はフランス単独沿岸チャンピオンシップで2回、トップ10でフィニッシュしています。彼はイギリスの彼のパートナーSam Daviesと一緒に、2回、大西洋横断レースをしています。彼女自身は2つのバンディグローブでレースを行い、2008-9年には4位でフィニッシュしています。そして彼女は彼のプロジェクトマネージャーでした。このように彼はこのレースのスタート前、21日間以上の単独レースをまったくしたことがありませんでした。「少し心配でした。私はどこへ行こうとしているのかわかりませんでした。そのことは考えすぎないように自分を忙しくしていました。一方で、それはぞっとするようなことでした。」彼はスタート前に言いました。

 

 彼のレースはうまくいっていました。自信は増し、競争しているグループに中ではちょうど新人のEric Bellionの後ろにいました。18位にいた時、彼は、12月5日、月曜日のおよそ午前11時30分UTCに未確認の浮遊物体にぶつかりました。彼の艇、Famille Mary- Etamine du Lys 号がUFOに衝突した時、彼はケープタウンのおよそ470マイル南にいました。それは彼の艇の両方のに損傷を与えました。彼は修理ををするため、舳先をケープタウンに向けることを決心しました。二日後の12月7日、彼は、およそ18:00UTCにケープタウンの南東の Simonstown に到着しました。2日間の修理をする辛い作業の後、このフランス人スキッパーは左舷の舵を交換し、そして右舷の舵を手助けなしで交換しました。「もし私がこのようなことが起きると知っていたら、私は参加しなかったでしょう。」彼は笑いました。「舵を外し、そしてそれから、それらを甲板上に持ち上げるのは、まったく辛いことでした。舵の一つを修理し、そしてもう一つと交換する、それで作業の半分でしかありません。決定的に私が苦しんだのは船底の後ろ2mの細長い傷の上への再ラミネート加工です。この修理に多くの時間がかかりました。」再び出航した時、AttanasioはBellionに1200マイル遅れた21位で、船隊に追いつくために25-30ノットの微風の向かい風の中で帆走しなければなりませんでした。

 

1月2日、Attanasioはパリの本部に、「ビリでいるのはフラストする。先を行く人は逃げ切っている。しかし、少なくとも、私はいまだにレースをしている。艇の調子は良好だ。信じられない経験をしている。Michel Desjoyeaux は、バンディグローブは毎日問題が起こることを意味する、といっていたが彼は正しかった。今日、自動操縦装置に問題が起こった。ケーブルの交換が必要だ。2日前は風見だ。昨日はバテンとハリヤードを直した。バンディグローブはきついとわかっていたけどそのきつさではない。」と言ってきました。しかし、スペイン人スキッパーCosta が嵐で苦しんで、オーストラリアの下で技術的な問題と格闘した後、AttanasioとCostaはニュージーランドの下で一点に集まりました。そして、1月5日まで、この二人は彼ら二人のレースをしながら、数週間続く戦いにのめり込みました。

 

Attanasioがホーン岬を75日と8時間41分で20:43UTCに周った時、彼はDidac Costaにおよそ100マイル先行していました。1月後半から2月前半、ブラジルの南から北大西洋までの全工程でAttanasioとCostaは彼らの決闘を続けていました。彼はレース92日目と16時間7分の04:09UTCに再度赤道を越えました。2月9日、Attanasio は未確認浮遊物体に衝突して左舷のダガーボードを壊しました。彼は船室への少量の浸水を確認しました。そしてこのダガーボードはもはや使用不可能になりました。北大西洋の真ん中のカナリア諸島の西の長い道のりで、CostaがAttanasioに対してリードを広げました。彼はよりやりにくい軽風の状態で400マイル後ろに離されました。

 

フィニッシュでの初めての反応

 

「これは私が目指した、またはそうだろうと思ったバンディグローブではない。私がリーダーたちと争っていないのはわかっている、しかし、ここにはレースを戦うことができるグループがいると思った。それが起こったのは大西洋でだ。しかも南大西洋の下の方で、私は何かにぶつかり、カーボンが裂けたような恐ろしい騒音が起こった。それが収まったと思って、Sam(Davies)に連絡した。やがて私はそれを修理して再度出発した。しかしそれからレースは変わった。私がいたグループはいなくなってしまった。そこで、私の目標はフィニッシュし、棄権に直面しないようにすることになった。君が棄権しなければならなくなったら大ごとだ。これは君とともにある。信じがたい記憶がいくつかある。高気圧や低気圧。無風地帯の刃は君に覆いかぶさった。君はいつもなにか起こるのではないかと心配している。私はSamが2020年にここに参加していることが本当に必要だと考えている。そこで彼女は最初の女性の優勝者になることができるだろう。彼女は本当にこのレースを作った。このレースは他の人のレースとは違う。」

 

翻訳:Watson Courtier

as of May 31 2017.